三重県 亀山紅茶
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PROJECT

世界を目指した「日本紅茶」を未来へつなぐ亀山べにほまれ紅茶復活プロジェクト

明治維新の後の明治10年、遠くインドからもたらされた216㎏の茶の種。
その中の一粒から始まり、先人達によって世界を目指す紅茶品種として育てられ、昭和13年から伊勢亀山の地に根を下ろし続ける「べにほまれ」。
この「べにほまれ」を未来につなぐ活動が「亀山べにほまれ紅茶復活プロジェクト」であり、その活動団体が亀山Kiseki(会長:伊達亀嘉)の会です。

亀山Kisekiの会とは

亀山Kisekiの会は、紅茶農家で生まれ育ち「べにほまれ紅茶」復活を夢に抱いた茶生産者
駒田六平氏の呼び掛けにより平成24年度に結成されました。
メンバーは、べにほまれ紅茶の復活を目指す亀山市茶業組合の茶専業農家5名です。

Kisekiの意味

べにほまれが奇跡的に残っていた亀山・関の風土に敬意をこめて亀関(kiseki)と名付けました。
また、べにほまれ紅茶復活を通して、先人たちの軌跡にも光をあてたいとの想いを込めています。

活動目標

具体的な取り組み

資源調査と保存

かつては最大約50haの面積を誇った「べにほまれ」茶園も緑茶用品種への改植が進み、40年以上経た現在、市内の生産者の記憶からもほとんど消え去っていました。そのなかで、駒田氏の記憶を手掛かりに市内茶園の調査を行い、安坂山町、布気町に50年を超える古木の「べにほまれ茶園」約30aが残されていることを発見しました。しかし、「やぶきた」を中心とした緑茶生産がおこなわれている中で、「べにほまれ」は活用されることはなく、枝は伸び放題、雑草に埋もれた状態でした。Kisekiの会では「べにほまれ」紅茶の再生産に向け、奇跡的に残された「べにほまれ」園の再生を行っています。

紅茶復活と技術修得

亀山の紅茶は「べにほまれ」という優れた品種とともに、三重県茶業分場(現茶業研究室)と亀山紅茶の礎を築いた川戸 勉氏によって研究された高度な加工技術をもって、かつて世界から評価されていました。紅茶生産が途絶えてから、40年以上が経過しており、その栽培、製茶技術も失われたままでした。また県内に11カ所あった紅茶工場の紅茶用製茶機械も県外に持ち出されてしまい存在しません。
何もない状態の中、もう一度、日本紅茶の頂点を目指し、最高品質の「べにほまれ」紅茶を安定的に作り出す技術の復活に取り組んでいます。

ブランディング・マーケティング

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